フローリングの床面を雑巾がけするのは、まるで瞑想修行のようだ
雑巾がけをしても……それが清浄にみえるのはせいぜい30分程。
開いた窓から風が吹いてくると、
小さな埃や髪の毛がまた運ばれてくる。
こんにちは。
【脳と心をヴァージョンアップ・コーチング】の 立野博一です。
私はフローリングの床を掃除する時に、
上のような想いをいつも感じています。
そして、ヴィパッサナ瞑想の指導者 ラリー・ローゼンバーグ師の著書を読んでいて、
こんな一節をみつけました。
「タイのアーチャン・マハーブーワのところで修行したときのこと、
(略)
各瞑想者には森の中のクティと呼ばれる小さな小屋が与えられていました。
小屋と小屋の間はすべて歩道でつながっており、
一日中ひっきりなしに葉っぱが木から落ちてきます。私たちは朝と晩と日に二回箒を持って歩道を掃きます。
掃き進めている最中にも、
いま掃いたばかりのところが落葉で覆われていくのが見えます。仕事を済ませて途端、それが元の木阿弥になってしまうのを見る。
しかしそれでもその仕事に喜びを見出すことは可能です。」
「呼吸による癒し 実践ヴィパッサナ瞑想」
ラリー・ローゼンバーグ著 井上ウィマラ訳 春秋社 p52から
そうなんです〜〜。
タイの森の中の修行道場にも負けないくらいに(笑)
フローリングの床は掃除して間もなく、汚れてしまう。
その過程で湧き起こってくる自分の感情(マインド)に、気づかされる。
どうして、フローリングの床は汚れが目立ちやすいのかーーと怒り、
どうして、自分が掃除しなくてはならないかーーと悲しくなり。
そもそもどうして掃除しなくてはならないのかーーと不条理を感じ、
そもそも「美しい家」をどうして保たなくてはならないのだろうかーーと、美意識と清潔さについての哲学的な迷路に迷い込む。
そして、これらの沢山の感情(マインド)を喚起されている自分に、
気づかされるのです。
フローリングの床を雑巾がけしながら。アハハハ。
そして、ラリー・ローゼンバーグ師は上記の文章の後に、
こう続けて書いてます。
「……でも、そのさ迷ってしまった心を見るのが修行なのです。
何年も修行を続けているうちには、
何百回も戻ってこなければならないかもしれません。
ですから優雅に戻ってくることを学ぶのがとても大切になります。
格闘するのではなくて、舞うように。」
「呼吸による癒し 実践ヴィパッサナ瞑想」p52から
「格闘するのではなくて、舞うように」ーー
これはコーチングや心理セラピー、カウンセリングでも、ひじょうに大切な「本質 エッセンス」ですね。
自分の内面で湧きおこっていること、そして他者の内面や関係性と、
舞うように関わってみよう〜〜。
フローリングの床を雑巾がけする中での「気づき アウエアネス」と、
共にありながら。
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